「人生をやり直したい。」と思ったことは誰でも一度くらいはありますよね?
僕の場合は、ビザをお願いしていた弁護士がお金をちょろまかして逃亡。結果、米国に帰国できなくなった時に「人生をやり直したい。」っと思いひどく落ち込みました。
2〜3年はこの件を引きずってなかなか前に進めなかった僕ですが、これまで持っていた考え方を捨てることでようやく前に進めるようになりました。
僕が捨てた考え方、それは「スピリチュアル的な思考法」でした。
日本人はかなりスピリチュアル
かつての僕に限らず日本人は
「いいことをしていれば、必ず後で報いがある。」
「強く願えば夢は叶う。」
っと信じている人が大多数なのではないでしょうか。
これも完璧にスピリチュアル的な思考法です。
僕も昔は何かと窮地に陥ると無意識に「神頼み」をしていましたし、神信心があることを否定している訳ではありません。
ただスピリチュアルな思考法は、現実の問題に向き合う際に大きな弊害になります。
脱スピリチュアルで問題に向き合う
僕がビザの件のゴタゴタから凹んだまま数年しばらく動けなかったのは、どこかで自体が改善するのを待っていたからです。
俗に言う他力本願です。
引き寄せの法則なんかも大流行しましたが構造はまったく同じ・・・・。
スピリチュアルな思考法の大きな罠はこの他力本願にあります。
罠となる思考
何かが起きる→祈る・待つ→どうにかなった(気がする)→改善点が不明→よってまた同じ境遇に陥る
要は子供が親に問題解決してもらう思考と似ていて、逆境を乗り越えるという貴重な経験をわざわざ失っているんですよね・・・
本当にどうしようもない事態であれば、百歩譲って神頼みはアリかもしれませんが、ただほとんどの問題は解決可能です。
スピリチュアル系は基本「受け身」なんですよね・・・
- 思う
- 願う
- 祈る
- 引き寄せる
これらのスピリチュアル系の言葉って、全部直接的な行動とは無縁なんですよね。
占いもそうですが、スタンスは待ちなんです。
問題を解決まで導くのには、まず自分の行動の全責任を負う覚悟と、解決に向けプランを実行する行動力が必要になります。
僕のビザの例で言えば
- きちんと調べずに安い弁護士を使った。
- 違和感を感じた時があったのを放置した。
- 細かいやりとりが面倒でほとんど任せっきりにしていた。
など僕の認識の甘さが最悪の自体を招いたことは明白でした。
しかしスピリチュアルな思考法に囚われていた僕は「これも何かの試練なのかな・・・」っと自分のミスをかえりみず、耐えの姿勢に入ってしまいました。
結果数年間も自体が好転するのを、ただただ待つ無駄な日々を過ごすことに。

そんなある日、苫米地英人著の「スピリチュアリズム」に出会い、目からうろこが落ちました。
いかに巷に溢れている安易なスピリチュアルリズムが危険なものか、実名を出しながら警鐘を鳴らしているこの本のおかげで、僕の考え方はガラリと変わりました。
これまで深く考えもせずに、なんとなく信じていたことがどれだけあったのか、今考えるととても不思議な気分になります。
人生を前向きに捉え毎日の生活を送るのは悪いことではありませんが、全ての責任を運や神の存在に任せるのは危険です。
ちなみに僕が一切TVを見なくなった理由もこの本を読んだことがきっかけです。
お金を貯めるには『テレビを捨てる』だけで良かった件。なんで誰も教えてくれないの?
脱スピリチュアルリズムをして風向きが変わった
脱スピリチュアルリズムをした後は、祈るかわりに現実的な解決策を探すようになりました。
- なぜこれが起きたのか。
- どうしたら解決できるか。
当たり前のことを言っているようですが、案外これがきちんとできている人って少ないです。
100%他力本願でなくなる気分は一見辛い生き方に見えますが、実はめっちゃ自由を感じます。

人生をやり直したいと思った時こそ、スピリチュアルリズム的な神頼みの思考ではなく、しっかりと現実を直視したいですね。